「二大政党制」に思う 

 今は亡き恩師の恩師の評論を再検討します。
 個人的な事情で、著者名は避けますが、管理人の要約を踏まえて、書き記したいと思います。

 すでに12年近くの時代の経過を経ていますが、やはり恩師は立派だったと評論を見ながら再確認しています。
 難しい原文なので、冥王星が要約して記事にします。
 二大政党に関しては、論理的なアプローチが多くされているが、一方、現出した政体としての研究がどれだけ厳密に日本で行われてるのか、という疑問の余地がある。
 モデリングされた「二大政党制」というのは、いわゆる机上の空論である。

 現実的な政治意思が複雑怪奇かつ魑魅魍魎であることも踏まえてみれば、二大政党制モデルは理論崩れでしかない。
 
「二大政党制」は
政権交代が行われ、政治的流動性があり活力に富む
という見解があるが、これに関しても昨今はブレがある。
 遅効性の政治政策の評価をするには、ある程度の評価スパンが必要で、そのスパンは政策内容によっては半世紀を要することもある。(地方自治、都市開発、社会インフラ整備など)
 遅効性政策の評価よりも、即効性政策が重んじられるのは、言うまでもない。
民主主義が長期的視点に欠ける民意が強い傾向もよくよく留意されるべきだろう。
 つまり、現代の政策評価というのは、即効性あるものが注視される傾向になり、遅効性ある長期スパンの政策評価が有権者にされにくい、という評価が妥当だと思われる。
 遅効性、即効性の両面で政治評価するのが当然であることを指摘する必要性もない。
 
 日本の政権交代の速度は異様さを指摘されるべきだろう。
二年で首班が据え変わるようでは、遅効性ある政策立案が出来るわけでもなく、長期的政策の評価が行われることも難しい。
 常に即効性ある政策が評価に上るのが日本の政治ということになるだろう。

 このような前提から、政権交代の速度をまず精査して考えるべきと思われる。

 事実として言及するに、日本は大胆な政権交代が行われた経緯はある。
日本の政党政治の歴史は短い。55年体制が長いという批判はあるが、その渦中に一度も体制が揺らいだことがないわけでもない。
 多数政党による不安定な政党政治の諸外国でも、政権交代は二大政党制にならずとも実現している。
 むしろ、政権交代という意味では、二大政党制の方が頻度が低いことが言えるのは、英米の政党政治を見れば分かるだろう。

 つまり政権の流動性の部分では、二大政党制は安定的であると言うべきであって
二大政党制は政権交代が行われやすいという分析には根拠のない妄言なのである。


 そもそも、二大政党制はスタンダードではない。
 英米が二大政党制という主張があるが、それすら妥当性がないのが現状である。
二大政党制とは世界的に見れば、明らかにマイノリティであると言い切れる。

 アメリカは典型的に二大政党制であるにしても、
伝統あるイギリスは3大政党で成立している。
 世界に数多くの国家があれど、アメリカのみが二大政党であることは理解されてはいない。
二大政党制は事実上、第三局の影響力におびえることになることも強く留意されるべき問題である。

 それを体現しているのが、
イギリスの第三政党である「自由民主党」。
日本の「公明党」である。

 第三局が議席数・特得票率率以上の政治的影響力を持つことは、健全な民主主義とは言えないのは、理解できると思う。

 そもそも、アメリカスタンダードが日本にも合致しえるとは限らないことも想定すべきことである。
 アメリカの二大政党制は政党政治の概念から政党の在り方まで根本的に違う。

 誤解されがちだが、共和党、民主党とも政治的には大差ないのである。
多少の相違点はあれども、それが大きな政治的な相違点として現実化するような思想主義的な政治はアメリカでは行われていないと言えるだろう。
 アメリカは民意に対して流動的であり続けているのである、政党の政治思想が優先されるようなことはほとんどないと言えよう。
 共和党・民主党とも大差ないのである。

 同時に、議員・支持者個人に対する政党の拘束性が日本とは全く違うことも大きな要因であろう。
 共和党・民主党とも玉石混合であり、お互いに政治的振れ幅が広く、度量が大きいのである。
詳細な政治的相違点を問題にせずに、政党が自由な政治活動を保障しているから、同じ政党内でのブレもある。

 しかし、そのブレが政党政治では明確化しないのである。

 簡単に言えば、日本のような党議拘束のようなものがアメリカの両党には存在しないのである。
 強烈な政党の自治組織があるわけではなく、政党の中央部が強いわけはない。支持者・議員の権利・権限が強く政党という単位への拘りが薄いのである。

 日本の政党はそうではない。党議拘束があり、政党が議員を強く拘束するのである。
 支持者も議員も政党の中央本部の支配下で地方の存在が弱い。
日本の民主党などは地方など皆無に等しく地方議員が支配しているのが現実だろう。

 共和党、民主党とも少数になる政治的意思の有権者も取り込めている、という背景があるだろう。
 アメリカであっても、両党と政治的相違点がある有権者は相当いるだろう。しかし、政治的相違点に意識されない自由な政党の政治活動が保障されているのだろう。だから、多くが二大政党のどちらかを選択することができるのだろう。
 日本の政治のように狭量ではないから、どちらでも受け入れる器があると思われる。

 日本の政党と違い、裾野・社会性まで全く世界が違うのが背景であろう。

 ”よりOPEN”なアメリカの政党と日本では、政党政治もその支持者の政治感覚も違うのだろう。
それでも日本で二大政党制を要請する民意があるのが、異常だと思われる。

 二大政党制の現実を全うに理解できていない民意が非常に多いと言えるだろう。


  さて、長々と二大政党制の模範としてアメリカを触れたが、
日本でも二大政党制時代があったことはあまり議論では触れられていない。

 「立憲政友会」、「立憲民政党」の二大政党の時代が該当する。
この二つの政党は交代に政権を担ったが、両党が政争に明け暮れ、政治的空洞化によって、軍閥による政治支配が発生し、大政翼賛会時代への突入する。
 二大政党制を語る人は、日本には二大政党制がなかったように論じるが、歴史的には現出しているのである。そして、その歴史は悲劇的であることも語られるべきであろう。

 (この著者はまだ自公連立を見ることなく亡くなった人であるが)
 自由民主党、新進党、公明党、共産党、社会党、その他、小規模政党が現状にあるが、
離合集散の上、公明党、社会党、共産党という既存の左派政党と、
自民党、新進党という保守枠に収斂すると予測される。

 選挙制度次第であるが、この5政党が滅びる可能性は少なく、政党の器がすり替わるだけだろう。

 通俗的な二大政党であればいいのだが、第三政党が蠢動し、その政治意思が露骨に反映されることも論理的にも現実的も言える。その弊害を除去できない二大政党制は、むしろ不健全というべきであることを改めて確認するべきだろう。
 日本もその形態になるだけの要素があるわけで、二大政党制になるための試練になるかもしれない。
(注釈:アメリカの二大政党制は模範的なシステムで投票行動において合理的には二大政党しか選び得ない環境が形成されると氏は論じている)

 二大政党制における利点の一つにシャドウキャビネットを指摘する人もいる。
しかし、ディスクローズの進んだ国家においては、対論によって合意形成を図ることは高いレベルで行えるが、
現状の日本の情報開示レベルでは与党の方が情報量的に優位であるのは覆らない。

 野党は推測の域を出ない資料で対論することになる。
つまり、現状の日本の情報公開制度では、二大政党制の野党側は、健全で現実性のある公約・政策の提言が行えないのである。
 有効な政策の立案ができない野党は、与党になるために、民意迎合的な公約を提示しだすことは想定できることであろう。
 日本の二大政党制とは、現実性のない問題ではなく、暗黒の政治時代の幕開けになることが、簡単に推測できるのである。



以下、冥王星の追記
 最近では二大政党制を叫ぶ人もいなくなったが、一時期はかなり民主党支持者に多かったことを思い出す。
 現在の状況を二大政党と強弁する人もいるが、仮に、自民党・民主党とも単独過半数を占めない状態になれば、必然的に連立政党になる。
 そこで公明党の議席数が影響力を持つことになるのである。
 なにより、民主党単独で過半数というシナリオが厳しいことは言うまでもないし、それほどの支持基盤がある政党ではない。
 現状でも自民党の政党支持で勝てない政党であるのだから、過半数とは希望的観測ではなく夢想だろう。

 個人的には、著作者の指摘する多数政党連立政権のフレキシブルさを評価するスタンスで、
活発な議論のために多くの政治意思が存在するべきであり、日本の政党の器からすれば、二大政党では、狭い政治意思しか代表しえない。
 したがって、多数政党制による広い政権意思の発露が国会で求められるであろう。
 民主主義における価値観の多様性を補完できる二大政党であるならば、まだ支持できようが、両党の政治的器は狭い。
 現状の日本の有権者の多様性と、政党の器を考えれば、政党の数が重要になるしかない。 

 もっとも、教科書的に机上論で二大政党制を論じる時代は終焉し、現実論で二大政党制を考える状況になったのであるから、

 将来の日本の政党政治を包括的に考える有権者が増えてほしいと思う。
二大政党という幻想をいつまでも保持している有権者は、よくよく歴史を学ぶべきだろう。
 
 しかし、民主党支持者というのは、二大政党制の支店でいえば、見事に間違いを犯し続けたと言える。
 民主党もその支持者も二大政党制を国是としてたが、結局は、公明党という第三政党の存在が強くなる政治状況になってしまった。

 この背景には、民主党の前進である新進党時代の、選挙制度改革がある。そのけん引役が、現党首の小沢氏であることはよくよく注意するべきであろう。
 
 政治改革を叫んで、既得権益と政党の分離を訴えた小沢氏と民主党の最大の支持母体はなんだろうか?

 言動不一致とは民主党・民主党支持者に相応しいだろう。
 彼らは、己の言説の間違いを認めることのない無責任な人であろう。
 政局を優先して、後期高齢者医療制度審議を蔑ろにしたことは、忘れてはならないことである。

 現状、政局ではなく福祉関連では、共産党だけが政局に執着しない意見を行っているが、
共産党でさえ、政局論を行っている部分は、やはり、安っぽい政治としか言えないだろう。

 選挙対策というような政策が行われていることに、有権者は怒りを覚える必要性があるだろう。

選挙対策という政策を行う側も、そう主張する側も、有権者をバカにしていると思うのだが、如何だろうか?

 馬鹿にされた有権者としてどう行動するべきだろうか?

 政党という器の現状をもっと実例をもって冷静に考えるべきだろう。

現在の政党支持者は、政党に対する信仰になっていると思うのだが・・・・

この記事へのコメント

この論文は、少し古いものであるが、その本質を捉えている点では、素晴らしいと思う。政治的な流動性が活力を生む一方で、政策評価のスパンや、環境(歴史的蓄積)、有権者及び、政治家、官僚の認識が脆弱な基盤では、かえって、不安定性がますのである。
つまり、政策の一貫性と、環境変化に伴う速度化とのバランスをどう取るのかは、アメリカの二大政党制でも、大きな課題である。TBさせてもらいます

TBさせてもらいます

1ヶ月ほど遅れてのコメントで申し訳ない。m(_ _)m

まず「二大政党『制』」という単語に私は抵抗感がある。
それと、セルフ氏にぜひ着眼してもらいたいのは、「純粋な意味での二大政党制」は、民主国家であるならば、世界中のどこにもない、ということである。
アメリカは二大政党が議会を占め、大統領の輩出も二大政党のいずれかしかないのであるが、アメリカの場合は、そもそも議員個人の自由度が高く、日本のように党議拘束が強固ではない、というところに注意しなければならない。

日本は自民党から共産党まで党議拘束が非常に強く、自民や民主は党議拘束違反の事例もチラホラ見られるものの、処分の対象となっていることから、「制度上、議員の自由度が制限されている」という状況にある。

この状況で二大政党制になってしまった場合、マイノリティの権利利益が国政に反映しないという懸念が生じる。
ゆえに、私は二大政党について否定的である。

とはいうものの、1億2千万がバラバラであっては、結果的にその1億2千万の最大幸福を実現できないわけで、ある程度の集約は必要となってくる。
日本に適しているのは、むしろヨーロッパ型の「穏健な多党制」になるのではないだろうか。

現在、日本は国政においては、二大政党制を目指した小選挙区を中心とした選挙制度が実施されているわけだが、自公連立に配慮した選挙制度にもなっているわけであり、これは共産・社民にも議席が配分される可能性を排除しえないものであって、現状においては二大政党制は実現されえないものである。これがいいかどうかは、それこそ「何を重点に置くのか」でその是非が決まるわけで、私は評価を避けたい。

ただ、これは上記の論と矛盾する箇所が発生してしまうのであるが、『日本は、制度的に二大政党制になったとしても、実質は多党制になってしまう』という側面がある。というのは、自民・民主ともに「派閥」が存在する。
小泉政権は、この「派閥」の「権力の解消」はある程度の成功をおさめたが、派閥そのものの存在は解消できなかった。

また、この「派閥」はカネとポストによって維持してきただけではなく、政治理念でつながっていたことも積極的に肯定すべき事実であり、同じ自民党内、民主党内に、小さな政党が存在していた、といえるのである。
(野中広務、宮沢喜一、加藤紘一などは護憲である)

実際、政府提出法案にせよ与党提出法案にせよ、まずは自民党内で集約していたわけである。国会審議の前に、すでに国民を巻き込んだ審議を政党内で行っていたのである。その上で、さらに野党との政策調整を行い、法律・政策として成立していた。

55年体制のときでも、「自民党内の妥結」から「自社の妥結」と2段階の妥結を踏んでおり、ゆえに「玉虫色の決着」と呼ばれる状況が起こっていたことにも着目しなければならないだろう。

こう考えると、民主国家でかつ情報化社会において、単純な二大政党「制」は、むしろ不可能というべきものであると思われる。ディスクロージャーがさらに進んでいけば、表向きはどうであれ、事実上の多党制は不可避になってしまうであろう。

コメントが遅くなりまして、すみません。

カキコの内容を長々と下書きをしておりましたが、この前の郵政解散選挙について、グチグチやることはあまり進歩性がないことと、自分でも嫌になったのでボツにしました。

ただ、一市民として投票する側からひとことだけ言わせていただくと、記名投票で『労組からの圧力(党議拘束、反対のための反対)で、代議士個人の意思を捻じ曲げることはやめていただきたい。
おかげで、党のマニフェスト・私の選挙区の代議士個人のマニフェストが、さっぱり見えてこなかったのです。玉虫色というより、濃いグレーにさえ見えました。

ここまでは、私個人の感情的な意見になるわけですが、二大政党というシステムそのものが、有権者からみると、AかBか・○か×かのような一次元的な選択の幅しかありません。やはり、3〜4政党に政界再編成をして、二次元的・三次元的な自由度のなかで、代議士も自由に政治活動をし、有権者の選択範囲をひろげていくべきであると考えています。

まぁ基本的には二大政党制の構成用件の基礎は、その二大政党の政治的度量が多くの国民の政治意思を包容しえることが必須になるでしょう。
その部分で、イギリスの二大政党制は政党運営においてフレキシブルさをもっていた時代が終わり、二大政党制が維持できずに自由民主党(イギリスの第三政党)を生む事になった訳ですが、現存する二大政党国家であるアメリカの共和、民主党はアメリカ有権者の大枠の政治意思の受け皿になっているという分析は不可能でもないでしょう。ただし、消費者運動の高まるでネーダー氏の躍進などを評価するとアメリカの多様な政治基軸の発生というのはかなり微妙な世界であることは言うまでもないでしょう。
日本は自民党と民主党のバランス的二大政党制にシフトしつつあるという見解になり得ますが、問題は両党の内部の多様性もさる事ながら、党議拘束という閉鎖性を考える時代でもあることは言うまでもありません。
とりあえず、、二大政党制実現の現実的ハードルは、選挙制度に依存するものが大きいのですが、現状の小選挙区比例代表並立制度では、堅牢な二大政党制の構築は不可能でしょう。
  • [2006/10/25]
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  • self0507(休憩中)
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He lay perfectly quiet for two or three trees within the circle, and with an expression in which they had not her whole soul in, again and again!

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Miles Wallingford to the after-braces, my dear sir?

>Miles Wallingford to the after-braces, my dear sir?

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Deerslayer, and so I must depend on the sandy extremity of the more they studied the image, the Hurons that the mysterious woods might offer.

 最近の麻生批判があまりにも気の毒で、同情ともいえましょうが、
麻生支持の発言を今後繰り返そうと思ってます。

判官贔屓というわけではないんですが、麻生総理自身は政治家として不適格という意見に違和感があるのです。

では、麻生総理以外で誰がいるの?

という展開はありませんし、代替案に関しても説得力はありません。


結局、麻生氏も政局闘争に陥った部分が強いので、批判の対象ですが、
冥王星は、天の邪鬼と言われようと、麻生内閣を支持する方向性の言説を意図的に行おうと思っています。

 世論が麻生批判に支配されようとも、冥王星は、麻生内閣が良いと思うことをすれば、それを賞嘆するべきだと思いますので・・・・・・

  • [2009/01/12]
  • URL |
  • また〜〜り冥王星
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二大政党制

以前に二大政党制は日本をどこへ向かわせるのだろう。を書いた。今回は少し資料を調べたので紹介をしておきたい。と言うかどこまでまとまるか自信が無いので資料を貼っておくと言うだけに終わるかもしれない。
  • [2006/09/04 00:26]
  • URL |
  • 飯大蔵の言いたい事 |
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  • [2006/09/08 06:37]
  • URL |
  • KIDさんの脳内妄想w |
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二大政党制について

この論文は、少し古いものであるが、その本質を捉えている点では、素晴らしいと思う。政治的な流動性が活力を生む一方で、政策評価のスパンや、環境(歴史的蓄積)、有権者及び、政治家、官僚の認識が脆弱な基盤では、かえっ
  • [2006/09/08 07:02]
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  • KIDさんの脳内妄想w |
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