二大政党に関しては、論理的なアプローチが多くされているが、一方、現出した政体としての研究がどれだけ厳密に日本で行われてるのか、という疑問の余地がある。
モデリングされた「二大政党制」というのは、いわゆる机上の空論である。
現実的な政治意思が複雑怪奇かつ魑魅魍魎であることも踏まえてみれば、
二大政党制モデルは理論崩れでしかない。 「二大政党制」は
政権交代が行われ、政治的流動性があり活力に富む
という見解があるが、これに関しても昨今はブレがある。
遅効性の政治政策の評価をするには、ある程度の評価スパンが必要で、そのスパンは政策内容によっては半世紀を要することもある。(地方自治、都市開発、社会インフラ整備など)
遅効性政策の評価よりも、即効性政策が重んじられるのは、言うまでもない。
民主主義が長期的視点に欠ける民意が強い傾向もよくよく留意されるべきだろう。 つまり、
現代の政策評価というのは、即効性あるものが注視される傾向になり、遅効性ある長期スパンの政策評価が有権者にされにくい、という評価が妥当だと思われる。 遅効性、即効性の両面で政治評価するのが当然であることを指摘する必要性もない。
日本の政権交代の速度は異様さを指摘されるべきだろう。
二年で首班が据え変わるようでは、遅効性ある政策立案が出来るわけでもなく、長期的政策の評価が行われることも難しい。 常に即効性ある政策が評価に上るのが日本の政治ということになるだろう。
このような前提から、政権交代の速度をまず精査して考えるべきと思われる。
事実として言及するに、日本は大胆な政権交代が行われた経緯はある。
日本の政党政治の歴史は短い。55年体制が長いという批判はあるが、その渦中に一度も体制が揺らいだことがないわけでもない。 多数政党による不安定な政党政治の諸外国でも、政権交代は二大政党制にならずとも実現している。
むしろ、政権交代という意味では、二大政党制の方が頻度が低いことが言えるのは、英米の政党政治を見れば分かるだろう。 つまり
、政権の流動性の部分では、二大政党制は安定的であると言うべきであって
二大政党制は政権交代が行われやすいという分析には根拠のない妄言なのである。 そもそも、
二大政党制はスタンダードではない。 英米が二大政党制という主張があるが、それすら妥当性がないのが現状である。
二大政党制とは世界的に見れば、明らかにマイノリティであると言い切れる。 アメリカは典型的に二大政党制であるにしても、
伝統あるイギリスは3大政党で成立している。 世界に数多くの国家があれど、アメリカのみが二大政党であることは理解されてはいない。二大政党制は事実上、第三局の影響力におびえることになることも強く留意されるべき問題である。 それを体現しているのが、
イギリスの第三政党である「自由民主党」。
日本の「公明党」である。
第三局が議席数・特得票率率以上の政治的影響力を持つことは、健全な民主主義とは言えないのは、理解できると思う。
そもそも、アメリカスタンダードが日本にも合致しえるとは限らないことも想定すべきことである。
アメリカの二大政党制は政党政治の概念から政党の在り方まで根本的に違う。
誤解されがちだが、
共和党、民主党とも政治的には大差ないのである。多少の相違点はあれども、それが大きな政治的な相違点として現実化するような思想主義的な政治はアメリカでは行われていないと言えるだろう。 アメリカは民意に対して流動的であり続けているのである、政党の政治思想が優先されるようなことはほとんどないと言えよう。
共和党・民主党とも大差ないのである。
同時に、議員・支持者個人に対する政党の拘束性が日本とは全く違うことも大きな要因であろう。
共和党・民主党とも玉石混合であり、お互いに政治的振れ幅が広く、度量が大きいのである。
詳細な政治的相違点を問題にせずに、政党が自由な政治活動を保障しているから、同じ政党内でのブレもある。 しかし、そのブレが政党政治では明確化しないのである。
簡単に言えば、日本のような党議拘束のようなものがアメリカの両党には存在しないのである。
強烈な政党の自治組織があるわけではなく、政党の中央部が強いわけはない。支持者・議員の権利・権限が強く政党という単位への拘りが薄いのである。
日本の政党はそうではない。
党議拘束があり、政党が議員を強く拘束するのである。 支持者も議員も政党の中央本部の支配下で地方の存在が弱い。日本の民主党などは地方など皆無に等しく地方議員が支配しているのが現実だろう。
共和党、民主党とも少数になる政治的意思の有権者も取り込めている、という背景があるだろう。
アメリカであっても、両党と政治的相違点がある有権者は相当いるだろう。しかし、政治的相違点に意識されない自由な政党の政治活動が保障されているのだろう。だから、多くが二大政党のどちらかを選択することができるのだろう。
日本の政治のように狭量ではないから、どちらでも受け入れる器があると思われる。
日本の政党と違い、裾野・社会性まで全く世界が違うのが背景であろう。
”よりOPEN”なアメリカの政党と日本では、政党政治もその支持者の政治感覚も違うのだろう。
それでも日本で二大政党制を要請する民意があるのが、異常だと思われる。
二大政党制の現実を全うに理解できていない民意が非常に多いと言えるだろう。
さて、長々と二大政党制の模範としてアメリカを触れたが、
日本でも二大政党制時代があったことはあまり議論では触れられていない。
「立憲政友会」、「立憲民政党」の二大政党の時代が該当する。
この二つの政党は交代に政権を担ったが、両党が政争に明け暮れ、政治的空洞化によって、軍閥による政治支配が発生し、大政翼賛会時代への突入する。
二大政党制を語る人は、日本には二大政党制がなかったように論じるが、
歴史的には現出しているのである。そして、その
歴史は悲劇的であることも語られるべきであろう。
(この著者はまだ自公連立を見ることなく亡くなった人であるが)
自由民主党、新進党、公明党、共産党、社会党、その他、小規模政党が現状にあるが、
離合集散の上、公明党、社会党、共産党という既存の左派政党と、
自民党、新進党という保守枠に収斂すると予測される。
選挙制度次第であるが、この5政党が滅びる可能性は少なく、政党の器がすり替わるだけだろう。
通俗的な二大政党であればいいのだが、第三政党が蠢動し、その政治意思が露骨に反映されることも論理的にも現実的も言える。その弊害を除去できない二大政党制は、むしろ不健全というべきであることを改めて確認するべきだろう。
日本もその形態になるだけの要素があるわけで、二大政党制になるための試練になるかもしれない。
(注釈:アメリカの二大政党制は模範的なシステムで投票行動において合理的には二大政党しか選び得ない環境が形成されると氏は論じている)
二大政党制における利点の一つにシャドウキャビネットを指摘する人もいる。
しかし、ディスクローズの進んだ国家においては、対論によって合意形成を図ることは高いレベルで行えるが、
現状の日本の情報開示レベルでは与党の方が情報量的に優位であるのは覆らない。
野党は推測の域を出ない資料で対論することになる。
つまり、現状の日本の情報公開制度では、二大政党制の野党側は、健全で現実性のある公約・政策の提言が行えないのである。
有効な政策の立案ができない野党は、与党になるために、民意迎合的な公約を提示しだすことは想定できることであろう。
日本の二大政党制とは、現実性のない問題ではなく、暗黒の政治時代の幕開けになることが、簡単に推測できるのである。
以下、冥王星の追記
最近では二大政党制を叫ぶ人もいなくなったが、一時期はかなり民主党支持者に多かったことを思い出す。
現在の状況を二大政党と強弁する人もいるが、仮に、自民党・民主党とも単独過半数を占めない状態になれば、必然的に連立政党になる。
そこで公明党の議席数が影響力を持つことになるのである。
なにより、民主党単独で過半数というシナリオが厳しいことは言うまでもないし、それほどの支持基盤がある政党ではない。
現状でも自民党の政党支持で勝てない政党であるのだから、過半数とは希望的観測ではなく夢想だろう。
個人的には、著作者の指摘する多数政党連立政権のフレキシブルさを評価するスタンスで、
活発な議論のために多くの政治意思が存在するべきであり、日本の政党の器からすれば、二大政党では、狭い政治意思しか代表しえない。
したがって、多数政党制による広い政権意思の発露が国会で求められるであろう。
民主主義における価値観の多様性を補完できる二大政党であるならば、まだ支持できようが、両党の政治的器は狭い。
現状の日本の有権者の多様性と、政党の器を考えれば、政党の数が重要になるしかない。
もっとも、教科書的に机上論で二大政党制を論じる時代は終焉し、現実論で二大政党制を考える状況になったのであるから、
将来の日本の政党政治を包括的に考える有権者が増えてほしいと思う。
二大政党という幻想をいつまでも保持している有権者は、よくよく
歴史を学ぶべきだろう。
しかし、民主党支持者というのは、二大政党制の支店でいえば、見事に間違いを犯し続けたと言える。
民主党もその支持者も二大政党制を国是としてたが、結局は、公明党という第三政党の存在が強くなる政治状況になってしまった。
この背景には、民主党の前進である新進党時代の、選挙制度改革がある。そのけん引役が、現党首の小沢氏であることはよくよく注意するべきであろう。
政治改革を叫んで、既得権益と政党の分離を訴えた小沢氏と民主党の最大の支持母体はなんだろうか?
言動不一致とは民主党・民主党支持者に相応しいだろう。
彼らは、己の言説の間違いを認めることのない無責任な人であろう。
政局を優先して、後期高齢者医療制度審議を蔑ろにしたことは、忘れてはならないことである。
現状、政局ではなく福祉関連では、共産党だけが政局に執着しない意見を行っているが、
共産党でさえ、政局論を行っている部分は、やはり、安っぽい政治としか言えないだろう。
選挙対策というような政策が行われていることに、有権者は怒りを覚える必要性があるだろう。
選挙対策という政策を行う側も、そう主張する側も、有権者をバカにしていると思うのだが、如何だろうか?
馬鹿にされた有権者としてどう行動するべきだろうか?
政党という器の現状をもっと実例をもって冷静に考えるべきだろう。
現在の政党支持者は、政党に対する信仰になっていると思うのだが・・・・