田母神論文については、
「職務上の拘束性を考えて軽率だった」、という評価だけしかない。
軽率というのは、
・職務上の立場
・昨今の自衛隊への国民意識
テロ特別措置法改正(給油法改正)などの時期など考えれば軽挙というしかない。
しかし、不用意な論文とは言え、一面的には妥当性のある指摘であることも事実である。
要は、個人としての見解の自由として氏が論文のような歴史観を持つのは自由であり、個人としての公表に留めるならば問題がないと思うのである。
歴史観の相違点は別にしても、そもそも思想的右派・左派とも「都合のいい歴史観」だけで論じようとすることが多い。
論文に対する齟齬と問題提起を簡単に行ったが、あくまでも全否定できないでも、全肯定できるものではないし、視野狭窄の論文というのが、もっとも妥当性のある見解だと確信している。
実は昨日は時間の都合で割愛したが、金曜日に非常に戦後問題として興味深い話題が二つあがっていた。
・「沖縄集団自決」問題
・横浜事件再審
である。
戦後問題以外でも、
”障害者自立支援法の違憲”告訴
自殺白書
と書くべき話題が山積していたが、時間の都合でまだ記事を作ってない。
時間があれば、特に横浜事件・自殺白書は取り上げたいと思っている。
(憲法再論はなかだるみ?)
横浜事件が話題として注目されないが、むしろ、いわゆる思想右派が法治主義を訴える一方で、横浜事件を話題にしないことへの不満を含めて論題するべき事件だと思っている。
実は、冥王星が東京裁判否定論を行う人間へのアンチテーゼとして論理矛盾を指摘できるのは、
「横浜事件」
「ICCユーゴ法廷」
などの存在がある。
思想右派と称される人の多くは、
「横浜事件」での私刑について問題としない。逆説的いえば、右派と称される面々にとっては横浜事件は東京裁判の否定論における法治主義という問題へのアプローチを横浜事件には適応させようとしないのである。
一方、左派と称される面々も、東京裁判肯定論においては、横浜事件の論理的正当性へのアプローチに問題があるといわざるをえない。
次に、「ユーゴ戦犯法廷」については、それこそ東京裁判と同じく「私刑論」が可能にも関わらず、論及しないのである。
冥王星は、思想右派で「ユーゴ法廷」についての識者が居ないことを問題視しているし、論じれない知性の右派が多いのが不安でならないのである。
正直言えば、東京裁判否定論に関しては、あまり賢い言動がない。
その最大の理由は、ニュルベルク裁判との整合性課題についての論及があまりにも少ないこと、国際司法の手続法・国際法の具現性などの問題について、あまりにも無知だからである。
無知というよりも、「無知を自覚できていない」というのが結論である。
もっとも、正論の講演会で、国際法ヲタの冥王星や同好の志が、質疑しても回答できなかったことはいちいち記載するまでもない。
というよりも、すでに、正論系統の講演会では冥王星や国際法専門の人間はマークされているといえるだろう。
ちょっと専門的な部分を指摘すると逃げてしまう「正論」の論者がどんなに情動・感情論で訴えようとも学術的・論理的正当性の問題は揺るがないのである。
もっとも、それが左派を称される論とは色合いが違っても、決して、右派も左派も、
「自分に相対する思想は、対極派」
という決め付け・思想狭窄に陥るだけなのである。
結局は、自称○翼などというのは、概して思想・思考狭窄でしかない知的弱者だと言うのが結論になるだろうが・・・